2012年12月05日
最終話 徳川家康公伝説
「神となって江戸を守る」という遺言を残したといわれる徳川家康公。久能山東照宮と富士山を結んだ延長線上に日光東照宮があることはわりと知られている話です。そして日光東照宮は、江戸城のほぼ真北に位置し、その空には北極星が輝いています。
亡くなった後は神格化され「日光東照宮大権現」として祀られている家康公ですが、青年時代を過ごした浜松には、親近感のわくおもしろエピソードがたくさん残っています。
逃げる家康公を襲うもの
最も有名で最も衝撃的なのは、三方ヶ原の合戦でのエピソード。
武田信玄が遠江国(大井川より西の遠州エリア)に侵攻をはじめます。浜松城を攻められると思っていた家康ですが、実は信玄はもっと西の堀江城(現在の舘山寺温泉の辺り)を目指しており、浜松城は通過しようとしていたのです。それなのに家康は、わざわざ戦いに出向き、武田軍の背後から襲う作戦をたてたのです。しかし、武田軍のほうが兵力・戦術面ともに圧倒的で、徳川軍はボロ負けしてしまいます。家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、その途中、恐怖のあまり、馬の上でうん○をもらしてしまうのです! そしてそんなみっともない姿を隠すのではなく、恐怖と屈辱に歪んだ自分の姿を肖像画として残し、同じ失敗を繰り返さないようにという教訓にしたのです。

家康公が17年間過ごした浜松城は「出世城」と呼ばれる
地名に、名字に
三方ヶ原合戦でもうひとつ有名なのが、「小豆餅」と「銭取」。浜松城へと逃げ帰る途中、あまりにもおなかがすいた家康は、小さな茶店でおばあさんが小豆餅を売っているのをみつけます。「おい、餅をくれ、いくらだ?」と口の中へいくつもほおばり、「ひとつ、三文じゃ」と言うおばあさんにおかまいなく、またほおばります。すると、武田軍の声が聞こえ、あわてて逃げ出す家康。しかし、おばあさんはその後を追いかけ、「タダ食いは許さん」とお金を請求します。家康は大急ぎで銭を払ったそうです。
この小豆餅を食べた場所が「小豆餅」、銭を払った場所が「銭取」として地名になっています。馬に乗って逃げる家康に追いつくおばあさんの執念。武田軍よりも上手です。
また、逃げる途中、ある農家の老夫婦に「おかゆ」を食べさせてもらったという話もあります。天下を取ったあと、その恩返しに「小粥」という姓を与え、その家は後に庄屋を務め、ますます栄えたといいます。浜松市中区曳馬周辺には「小粥(こがゆ・おかい・おがい・おかゆ)」姓の家がたくさんあります。家紋も、お椀に箸を乗せた形になっているそうです。
天下統一を成し遂げた家康公も、たくさんの失敗があり、お茶目な一面もあるんですね。県内に残る家康公のさまざまな足跡を探す旅も楽しいものです。
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◆クリックして、このコラムの他の記事を読む
第1話 富士かぐや姫伝説 / 第2話 大瀬神社の神池
第3話 富士山三姉妹 / 第4話 遠州天狗伝説
第5話 羽衣伝説 / 第6話 函南「猫おどり」
第7話 野守の池の悲恋伝説 / 第8話 ダイダラボッチ伝説
第9話 遠州灘の海鳴り・波小僧 / 最終話 徳川家康公伝説
亡くなった後は神格化され「日光東照宮大権現」として祀られている家康公ですが、青年時代を過ごした浜松には、親近感のわくおもしろエピソードがたくさん残っています。
逃げる家康公を襲うもの
最も有名で最も衝撃的なのは、三方ヶ原の合戦でのエピソード。
武田信玄が遠江国(大井川より西の遠州エリア)に侵攻をはじめます。浜松城を攻められると思っていた家康ですが、実は信玄はもっと西の堀江城(現在の舘山寺温泉の辺り)を目指しており、浜松城は通過しようとしていたのです。それなのに家康は、わざわざ戦いに出向き、武田軍の背後から襲う作戦をたてたのです。しかし、武田軍のほうが兵力・戦術面ともに圧倒的で、徳川軍はボロ負けしてしまいます。家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、その途中、恐怖のあまり、馬の上でうん○をもらしてしまうのです! そしてそんなみっともない姿を隠すのではなく、恐怖と屈辱に歪んだ自分の姿を肖像画として残し、同じ失敗を繰り返さないようにという教訓にしたのです。

家康公が17年間過ごした浜松城は「出世城」と呼ばれる
地名に、名字に
三方ヶ原合戦でもうひとつ有名なのが、「小豆餅」と「銭取」。浜松城へと逃げ帰る途中、あまりにもおなかがすいた家康は、小さな茶店でおばあさんが小豆餅を売っているのをみつけます。「おい、餅をくれ、いくらだ?」と口の中へいくつもほおばり、「ひとつ、三文じゃ」と言うおばあさんにおかまいなく、またほおばります。すると、武田軍の声が聞こえ、あわてて逃げ出す家康。しかし、おばあさんはその後を追いかけ、「タダ食いは許さん」とお金を請求します。家康は大急ぎで銭を払ったそうです。
この小豆餅を食べた場所が「小豆餅」、銭を払った場所が「銭取」として地名になっています。馬に乗って逃げる家康に追いつくおばあさんの執念。武田軍よりも上手です。
また、逃げる途中、ある農家の老夫婦に「おかゆ」を食べさせてもらったという話もあります。天下を取ったあと、その恩返しに「小粥」という姓を与え、その家は後に庄屋を務め、ますます栄えたといいます。浜松市中区曳馬周辺には「小粥(こがゆ・おかい・おがい・おかゆ)」姓の家がたくさんあります。家紋も、お椀に箸を乗せた形になっているそうです。
天下統一を成し遂げた家康公も、たくさんの失敗があり、お茶目な一面もあるんですね。県内に残る家康公のさまざまな足跡を探す旅も楽しいものです。
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第3話 富士山三姉妹 / 第4話 遠州天狗伝説
第5話 羽衣伝説 / 第6話 函南「猫おどり」
第7話 野守の池の悲恋伝説 / 第8話 ダイダラボッチ伝説
第9話 遠州灘の海鳴り・波小僧 / 最終話 徳川家康公伝説
Posted by eしずおかコラム at 12:00